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松下義嗣
「市民の信頼を得るために」

 

審査員(順不同、敬称略)
柳原良平(画家、随筆家、海洋評論)
伊藤直(神奈川新聞社取締役編集局長)
松原純子(横浜市立大学看護短期大学部部長)
細部勲(東北支部・秋田市消防長)
小笹修一(東近畿支部・京都市消防局長)
深田武俊(四国支部・小高知市消防局長)

 

最優秀賞

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「市民の信頼を得るために」

 

「なにやってんだ消防は、来るのが遅いぞ。」
先日、ある火災に出動して車から降りたとたんに、一人の市民からこの言葉をたたきつけられました。こうしたことは、いままでにも何度かありました。自分の家族が倒れ、あるいは自分の家が燃えている人にとって、消防車が到着するまでの五分間というのは、とても長い時間のはずです。不安と、恐怖と、やりどころのない怒りが消防隊に向けられ、こんな言葉になるのでしょう。
こうした多くの市民が見守る中での消防隊の活動、いわゆる「現場活動」は、人々の心に大きな影響を与えてはいないでしょうか。
私が、災害現場で理想しているのは「スピードかつベスト」ということです。そしてそれは、豊富な知識と技術、正確な状況判断と決断力があって初めて成り立つものなのです。
私の最初の現場活動は、大失敗に終わりました。消防に入って間もない私のとった行動は、その時の状況にマッチせず、帰ってから先輩に怒鳴られました。結局、知識も技術も未熟なわけですから、状況判断がどうのこうのというレベルでは無かったのです。
それから私は、くやしくてくやしくて猛烈に勉強しました。先輩もいろいろと教えてくれ、ロープ結実、機械器具の取扱い、いろいろな救助方法や防ぎょ方法など、多くの技術を自分のものにしてゆきました。
中でも特に力を入れているのは「地水利」です。それも、ただ覚えるだけでは無く、一つひとつの道路や消火栓が自分の体の一部に感じられるようになるまで、昼も夜も、何度も何度も回りました。地水利に自信がつくと、気持ちに余裕ができて出動中に色々と考えられるようになります。風向きはどうだ。付近の状況は。他の隊はどう来る。そして現場の状況を見て、「よし、こうやろう。」と判断する。これがつまり「スピードかつベスト」な仕事につながるのであって行き当たりばったりや思いつきだけの仕事では、とてもプロとは言えないでしょう。判断すること。そしてそのために普段から様々な状況を想定しておくこと。これは、プロとして最小限必要なことではないでしょうか。
京葉道路の北側で作業場が全焼した火災に出動した私は、途中こう考えました。
「すべての隊は北側に集中する。だけどあそこは道路が狭く、今から直近は無理だ。消火栓も遠いし鉄管口径も細い。よおし。」
私たちの隊は、京葉道路を挟んだ反対側に部署し、下のトンネル内を手びろめでホース延長しました。この作戦は大成功で、後着隊であった私たちは、もっとも有効な場所に筒先部署し、十分な防ぎょ活動をすることが出来ました。
「火事は反対側だぞ。なにやってんだ。」と怒鳴っていた住民も、私たちの行動を理解し、最後には「さすがですね。」と声をかけてくれました。
「地水利やってて良かった。」そう思った瞬間でした。
そしてこんな火災がありました。バイクが燃えただけで他へ拡大することもなくタンク水を放水するとすぐに鎮火しました。すると隣に住んでいたおばあちゃんが私のところに来て、「有り難うございました。おかげで家が助かりました。本当に有り難うございました。」目に涙を溜めて何度も何度も頭を下げるのです。その姿を見て、私は思いました。
「消防の仕事は、人の心に直接つながっている。スピードかつベスト。そんな仕事ぶりが、一番市民に安心感を与えることが出来る

 

 

 

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